第2節 クロスオーバー
1970年公開の低予算の自主制作映画『スウィート・スウィートバックス・バッドアス・ソング』(“Sweet Sweetbacks Baadasssss Song”メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ監督
http://www.kingrecords.co.jp/visualpack/youga/sweet_sweetbacks/index.html )の草の根的なインディペンデント興行の成功から始まった一連の"Blaxploitation Movie"(ブラックスプロイテーション・ムービー。ブラックスプロイテーションとはブラック(黒人)とエクスプロイテーション(搾取)の合体した造語。黒人搾取映画という感じ?)と呼ばれる、 ハリウッドが黒人観衆を動員することを狙って製作された破天荒な黒人主人公の活躍する映画は、映画作品としての評価は低いものの、それらの映画が表現しているものは文化的に重要である。
『スーパーフライ』、『シャフト(邦題:黒いジャガー)』などがその代表格であるが、どのブラックスプロイテーション映画もストーリーは似たり寄ったりである。
かつては活気にあふれていたアメリカの黒人街が麻薬中毒と犯罪の蔓延で錆びれて荒廃してしまっていて、様々な人種の犯罪組織や腐敗した警察、権力機構に支配されている。そこに主人公である黒人の向こう見ずで型破りなならず者("Bad Ass""と呼ばれるようなタフガイ)のヒーローが立ち向かい、相手を懲らしめ、やっつけてしまうか、まんまと逃げ遂せるかして生き残るというパターンの物語である。
このならず者のヒーローのお決まりの物語は、70年代の一連のブラックスプロイテーション映画で繰り返し描かれたただけではなく、その原型は絶えず黒人の間で語り継がれてきた「バッド・ニガー説話(Bad Nigger Forklore)」にあり、その起源は奴隷制の時代まで遡る。黒人文化の特色に高度な口承(文字に頼らず、口伝が主な記録の手段である)文化があるのは第2章でも触れたが、バッド・ニガー説話は トゥスト(toast)と呼ばれる、全て韻を踏んだ文で構成された独特な形式の物語の定番として強制労働の最中や、刑務所の中、あるいは街角でのたむろの退屈しのぎの娯楽として語り継がれてきた。それが様々な形に転化し、ついには映画の題材として取り上げられスクリーンを飾ることになったのだ。
バッド・ニガー説話についてロック評論家のグリール・マーカスは次のように説明している。
「その話の無数の版のイメージの中にある原型は、偶発的な暴力と暴力的なセックス、欲望と憎悪、習熟と塾達、優雅で贅沢な生活といった空想を物語っている。もっと深いレベルでは、それは、日々を入り組んだ限界の中で暮らしていて、自分達自身の間でしかその限界を超えることのできない人たちにとっての無制限な空想である。それは、誰もがなってみたいあの強靭で活発な人物を描写したものであると同時に、ありきたりの、無意味で見掛けだおしの死の舞踏である。」(グリール・マーカス 『ミステリー・トレイン』 三井徹訳 89年 第三文明社)
バッド・ニガー説話の代表格であるスタッガ・リー(Stagger Lee)の物語はジャズやブルースの歌の中にも歌われ、1959年にはロイド・プライスの歌ったリズム&ブルース・バージョンの『スタッガ・リー』が4週間もチャート1位の座に居座り続けた。60年代に公民権運動のリーダーとして活躍したマーティン・ルーサー・キング博士に象徴されるような、模範的な黒人の理想的イメージとは対極をなす「バッド・ニガー」のイメージは、アメリカの主流文化の外に生きてきた黒人達にとっての男らしさの象徴であり、その反逆的な態度は英雄視され、ヒーローとしてとらえられる。
法にも道徳にも縛られないと言うスタイルは究極的な『自由』のイメージであり、何者にも屈しないという姿勢は、ならず者から転身したマルコム・Xやブラック・パンサー党の民族主義のスタイルに投影され、同じような境遇にある下層黒人の政治意識に強い影響を与えた。
彼等にとっては暴動こそが政治的な行動であり、自由への要求の表明を意味するものだった。
70年代のブラックスプロイテーション映画の黒人映画監督達はバッド・ニガー説話をモチーフに映画を撮ることで、公民権運動以降のアメリカにおける黒人の社会的不安や民族主義的傾向を表現したのであり、バッド・ニガーの主人公のスタイルが下層階級の黒人達に支持され、現実の世界で真似されるほどの影響を与えたことが意味するのは、公民権の獲得では不十分であり、黒人はさらなる自由と社会的平等を求めていたというとだったと考えられる。
ブラックスプロイテーション映画はスライ&ザ・ファミリー・ストーンの大企業メジャーレーベルでの成功と同様、アメリカ映画産業にとっての黒人マーケットの再発見/再認識に過ぎず、似たような企画の映画が乱発され、やがて飽きられて動員が減るとあっさり切り捨てられてしまうというコースを辿る。
その一方で、法的な平等が確立され、黒人が経済的な面でアメリカ主流社会に同化することが可能になった70年代には
白人中心の社会機構の中により多くの黒人が進出し、その中で経済的に裕福になることが上昇志向の強い黒人の間では最重要課題となり、アメリカの主流文化である中流階級的価値観へ同化しようとする傾向がますます強まっていった。
ブラックスプロイテーション映画の文化的に重要な面としてはその映画音楽を挙げることができる。ブラックスプロイテーション映画には当時活躍していたソウル・アーティストによる音楽が効果的に使われ、サウンドトラックから多くのヒット曲を生み出した(『黒いジャガー』のサウンドトラックでアイザック・ヘイズはアカデミー賞を受賞している)。映画と同様にその音楽は社会的現実を直視した内容、ムードを表現し、黒人音楽シーン全体にも強い影響を与え、ソウルに変わる新しいスタイルを生み出すきっかけになっていった。アフリカ民族主義からくるアフリカ文化に対する関心の高まりにより、コンガやボンゴを加えたより複雑なリズムパターンや暗い音調のマイナー・コードが第三世界のアフリカン・ミュージックやラテン・ミュージックから取り入れられ、多用された。また、一般に映画音楽に特徴的な重々しいオーケストラの手法がソウルミュージックにも使われるようになり、より緻密で、長尺な、洗練されたスタイルが流行した。
そうした新しい感覚の黒人音楽は、よりアメリカ主流文化の方向に洗練されていく人種統合の時代の黒人の感覚を反映していて、それは白人社会の聴衆にも受け入れられつつあった。
経済優先の風潮は大企業が支配しつつあった黒人音楽の業界でも濃厚となっていった。当時の黒人ラジオでは、それまでの黒人口承文化の継承者の代表のような騒々しいパーソナリティDJのスタイル(小林克也氏などがやっていた濁声まじりのアメリカンラジオのDJスタイルはその流れ)は時代遅れなものになってしまい、洗練されていく黒人音楽のサウンドにあわせてよりスマートな語り口調のスタイルが主流となっていき、新しい音楽の人気と共に黒人ばかりでなく白人聴衆をも引きつけるようになっていった。
白人の主流社会に受け入れられるくらい洗練された黒人であることが経済的な成功をもたらす、という風潮が社会全体に強まっていったのである。
「クロスオーバー」という言葉は、黒人音楽を白人の音楽マーケットに売り込む、という意味のマーケティング用語である。
洗練されていく黒人音楽が白人の聴衆を獲得し始めると、あたかも金鉱を掘り当てたかのように大企業レコード会社はこの「クロスオーバー」という言葉を合い言葉のように連発しながら黒人音楽を白人聴衆に向けて熱心に売り込んだ。それまでの黒人音楽専門のインディー・レーベルは大規模な白人マーケットに進出するほどの資金力も無く、そうするためには大企業メジャーレーベルに依存せざるをえなかった。 しかし、黒人音楽を深く理解せず、黒人聴衆との接点も持っていなかったメジャーレーベルに黒人音楽業界の実権を握られることで、黒人音楽は黒人聴衆とその市場をターゲットにした音楽製作よりも「クロスオーバー」を狙った、一般の白人聴衆にも受け入れられることを目指した音楽制作を重視するようになってしまうのである。
その結果、70年代中頃から80年代にかけての黒人音楽はそれまでの黒人文化的な伝統とのつながりが薄いものが主流になってしまう。
ロックンロールの時代に白人のリズム&ブルース・イミテーターがはたした役回りを、人種統合の時代にはそれを作り出した黒人アーティスト自身が演じることになってしまったのだ。
第4章3節へ続く・・・
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