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第2章 ブラック・ミュージックの成立
第3節 ブラック・ミュージックの成立

奴隷制の時代、アメリカの白人達にとって、黒人奴隷は欠かすことのできない経済的な労働力であり、所有財産であった。人間としてではなく、牛馬と同等の家畜として扱われ、生存に必要な最低限の設備と待遇は奴隷所有者によって与えられていたので、奴隷は生活の手段を自ら持つ必要などなかった。さらに長年の奴隷生活は黒人のアフリカの伝統的な家庭観を破壊、崩壊させ、男女間、世代間の上下関係が消え、無差別平等の関係になっていた。唯一、奴隷という社会的地位だけにしか黒人は存在できなかったのである。

奴隷制後期には逃亡して自由黒人となるなどの例外はあったが、アメリカにおいては黒人である以上、奴隷以外の身分になることは許されなかった。 だが、南北戦争とそれに続く奴隷解放令によって、黒人の置かれる状況は大きく変わることになる。

黒人は奴隷制から解放されると同時に生活手段を失い、裸同然で激しい生存競争の社会を自らの力で生きていかなければならなくなる。 しかも体制側はそれを保護するのではなく、差別の法制化によって黒人を社会の最下層に止めようとしたので、黒人はアメリカ社会のなかでも最も疎外された位置に追いやられてしまう。

やがて主要な産業が工業化し、個人主義の強まっていくアメリカ社会の中で格闘していくことによって、黒人達はアメリカ的な実利的・世俗的な価値観を身につけ、個人の価値観や自我を自覚していく。 新たに獲得した行動の自由が、黒人にアメリカでの生活経験の拡張と広い視野をもたらし、その影響が反映され、音楽に大きな発展をもたらすことになったのである。

もはや何の規制もされずに自由に音楽を楽しむことができ、どんな楽器でも使えるようになれば奴隷時代に歌っていた歌では物足りず、新しい環境・意識を反映する新しい音楽が生まれてくることとなる。そうして生まれたのがブルースである。

ブルースがいつどこで生まれてきたのかということは明らかではない。 奴隷解放の時代に、黒人はそれを記録に書き残すほどの意識はまだなかったであろうし、白人は黒人社会に目を向けることもブルースに関心を持つこともなかった。音楽産業も、録音技術もまだ確立されていなかった。

奴隷解放以降にブルースが黒人社会に生まれ、発達したのは明らかになっているが、奴隷時代にも白人の目に触れないところで集会が開かれ、ブルースのような世俗音楽が歌われていて、それが奴隷解放後に公然と歌われるようになったものがブルースと呼ばれ、確立されたのかもしれない。そのような可能性はかなり高いと思われる。

どの黒人音楽の研究書をみても、奴隷時代も黒人宗教音楽やワークソング、ハラーなどの世俗音楽についての記録として引用されるのは当時の白人によるものばかりで、しかもあくまで白人の目に触れる黒人奴隷達の生活の断片の記録でしかないものが多く、黒人奴隷の生活のすべてを物語っているとは考えにくい。白人の主人の屋敷の中に住み込んで召使いをしていた黒人(ハウス・ニグロ)の中には例外はあったようだが、一般に奴隷が読み書きを覚えるということは手足切断などの厳罰にされていた奴隷時代では、黒人の手で記録が残されることなど不可能だった。

ブルースの直接の起源となるのは奴隷時代に歌われた世俗音楽、宗教音楽であるが、それまでの制限が亡くなり、教会以外でも自由に歌が歌われるようになることで、より世俗的な、アフリカ的要素の強いブルースの発展が可能となったのである。

ブルースはスピリチュアルに歌われた奴隷解放を願う集団的性格の内容から脱却し、アメリカ社会の人間中心主義・個人主義に影響された個人的性格の内容を持つ。そのスタイルはフィールド・ハラーのように歌い手や地域により様々であったが、移動の自由を得て、又は就職難のための職探しであちこちへ移動しなければならなかった黒人達はそれぞれのブルースのスタイルを広めて歩き、やがて淘汰されて一定の形式を持つにいたるのである。

ブルースは黒人音楽として一定の音楽形式と普遍性を持ち得た最初の黒人音楽(のスタイル)である。
それには楽器を自由に使用することが出来るようになったことも見逃せない要因であった。それまでの黒人の音楽は無伴奏のアカペラであったが、伴奏が付くことで音楽的に高度になるばかりか、その特徴的なアフリカ音楽式の演奏法により西洋音楽との対比でアフリカ的な要素が強調されることになる。

アフリカ音楽の特徴は表現の声楽中心主義にある。リズムもメロディも人間の声音を基本とし、楽器の演奏法もその模倣をもとに発達してるのである。トーキング・ドラムはメッセージを伝えるのにモールス信号のような規則性によって伝えるのではなく、人間が喋る言葉のリズムをそのまま模倣することで伝達するものであったし、アフリカの音階が西洋のものよりも複雑であるのも、人の声が音程を変える際の中間の音をも音階に取り入れていることによるのである。

そういったアフリカ式音楽の特徴によって、やがて管楽器などの西洋楽器が普及し、扱う楽器の種類が増えるようになると、歌の伴奏から楽器中心の音楽へと移行していき、純器楽ブルース、つまり、その後の「ジャズ」へと発展していく音楽を産み出すことになるのである。

初期のブルースは純粋に黒人による黒人のための音楽であった。奴隷時代には黒人の余暇の中心であった教会は、奴隷解放以降、黒人の間での階級を形成する中心的役割を果たすようになり、教会組織上層部(の黒人)は白人の生活スタイルに近づこうと、それまでのアフリカの伝統を切り捨てようとする傾向にあった。彼等はハウス・ニグロと呼ばれる、やがて黒人中産階級を形成するような黒人達であるが、彼等はブルースを「悪魔の音楽」と呼び、忌み嫌っていた。

そもそも奴隷時代を代表する黒人の音楽であるスピリチュアルは、禁じられたアフリカ伝統の宗教形式を存続するためにキリストを隠れ蓑とした際の産物であったのである。だから宗教と世俗との違いに関わらず、ブルースがコール&レスポンスなどの音楽形態でスピリチュアルとの共通性を持つのは当然のことである。それまでの禁止の反作用として生まれて来た、より世俗的な、つまりアフリカ音楽の伝統にのっとった性格を持つブルースに、白人の価値観を信望する黒人中産階級は反発する。しかし、大部分の、下層階級に属する黒人にとって、ブルースとはかつての奴隷時代に教会に頼っていた機能、つまり苦痛の軽減になるカタルシスを代用するものであった。

この点について、アメリカのブルース研究家のサミュエル・チャーターズ (Samuel Charters) は著書の『The Legacy of The Blues”』(Calder&Boyers 1975)の中で次のように述べている

「ブルース・・ソングは批評または不平の一種の高貴な、又は変性された表現である。ブルース歌唱の創造そのものが慰め、または解毒剤として作用する。歌唱が創造的努力を伴い見事になればなるほど、カタルシスとして歌唱は一層効果的になる。」

こうしたブルースの祭儀的性格はアフリカ伝統の音楽の性質に依ったまでの(無意識的な?)ものなのであろうか、変遷していくその後の黒人音楽の中にも共通してみられる性質である。また、このことからアフリカ音楽のファンクショナル・ミュージックとしての性向がアメリカの黒人音楽の中にもいまだ存在していることを意味している。

初期のブルースは白人的価値観の世界の外に生きる同じ感情を持つ黒人達を聴衆とするので、そこに歌われる内容がブルース・アーティストの個人的な体験であっても、聴衆の共感を得ることが出来た。ブルースに男女関係や旅を主題としたものが多く、あからさまに社会的・政治的な抗議を訴えるものがないのも、前者が聴衆とする黒人に共通する体験であるのに対し、後者は訴えるべき相手が聴衆に含まれないことによるものとも考えられ、また、一般の黒人の視野がそのような政治的・社会的意識を持つまでに広がっていなかったことを反映するものと思われる。

ブルースがアメリカ社会全般に知られるようになったのは、ミンストレル・ショーに代表される、旅回りの大道芸の分野に黒人がプロの芸人として進出したことによる。ミンストレル・ショーとは1800年頃から始まった、白人が顔を黒く塗って黒人の生活を面白おかしく模写して白人観衆に見せるという見せ物である。
やがて黒人が進出し、黒人のミンストレル団を形成し黒人向けにも興行し始めると、ブルース歌手と黒人のバンドが参加するようになったのである。 こうした興行は大成功を収め、ヨーロッパに遠征するまでになり、黒人にアメリカ社会での成功の手段としてのエンターテイナーの道を切り開いたのである。

ブルースはショウ・ビジネスの仲間入りし、黒人音楽として最初に白人社会での商業性と大衆性を持つことになる。同時期に普及していた当時のジャズは本来は黒人音楽であったにもかかわらず、創造した黒人には演奏の機会が与えられず、それを真似て演奏される白人による、白人向けに西洋音楽化されたジャズが主流となっていった。しかし、白人社会の目に触れない所、つまり黒人社会では黒人が演奏するブルース色の強いジャズが聴かれ、同じくブルースもすべてが商業化されたわけではなく、黒人社会の一部として以前とその機能性を失わずに存在した。
このような黒人社会と、白人社会での二重の文化の流れは、黒人がアメリカ社会の中に自ら生活の根を下ろし始め、アメリカの主流文化との接点を持つようになったことを象徴する。

奴隷時代の一元的な世界観から脱却し、選択肢が増えた新しい世界観を認識し始めた黒人達は、伝統的なアフリカ文化的な価値観とアメリカの主流文化の価値観の間でバランスを保たなければならなくなったのである。白人社会への同化を望み、主流文化への盲目的服従に走る黒人中産階級から、人種差別に対する限界と反発を感じている、黒人文化に忠実な下層階級に属する黒人まで、その中間に様々な度合いで両方の文化に生きる黒人が存在するようになった。しかし、いかに黒人文化に固執しようとも、生存競争の厳しいアメリカ社会で生きていかなければならない以上、あらゆる面で主流文化のアメリカを意識せざる得ないのである。

まさしくこのようなジレンマに悩まされることになったのと同じ時代に、職業的技術の習得と勤勉さの必要性を主張して、黒人の自己充足を説くブッカー・T・ワシントンと、黒人の政治的勢力の拡大と教育を受ける権利、選挙権の獲得の必要性を主張し、黒人の主流文化への同化を訴えるW・E・B・デュボイスという二人の黒人指導者により、黒人の進むべき道は、同化か、自己充足か、という論争が始まるのである。

第3章第1節へ続く・・・

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BEN THE ACE [ヒップホップDJ/プロデューサー]
宮城県出身 早稲田大学第二文学部卒
大学在学中の89年から東京でクラブDJを始め、93年YOU THE ROCK &DJ BEN「TIGHT BUT FAT」でデビュー。卒業後の95年からニューヨークに渡る。翌96年にインディーレーベル SPELLBOUND RECORDを設立、TWIGYとMUROのソロ作品をリリース。99年から日本に戻り、K DUB SHINE、雷家族、キングギドラ、プシンetc.のプロデュ-スやリミックスを手掛け、DJとしてはミックステープを多数リリースしている。

DJ ミックスショウ:
スカパー(466Ch)スターデジオ ”デリシャス・サウンズ”
Shibuya-FM (毎月最終金曜1-2PM)/"World Famous"
ブログ:
Essays on BAP-ism http://blackark7.wordpress.com/
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